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2011年9月23日 (金曜日)

平民・庶民たちの心の動き

028 タイ人の市民や平民達は、どの様な心の動きをしているのでしょうね。私の場合は、日本の庶民の代表ですから、タイ人の庶民の事は手に取る様に理解が出来ます。

 なんたって、お金がない苦しみを味わっているのは、同じですからね。

 ただ、日本人の庶民とタイ人の庶民は少し考え方と、行動のパターンが違っています。 まぁ、これは気候の関係が大きく左右している様な気がするんですが、如何でしょうね。

                

029 日本人の場合やその他の国人の場合は、お金がないって事で相当に悲惨だって感じているのが普通ですね。 まぁ、私の場合は、慣れですか、それともタイランドに長く関わってきましたから、タイ人を見習っているのかは解りませんが、結構あっけらかんとして、貧乏を楽しむ事が出来ます。

 タイランドでも親が居ない子供とか、子供を抱えて仕事がない母子家庭とかって場合は、悲惨さを通り越している場合がありますが、普通の庶民の場合は、余り悲惨さを表に出すことはありません。

 例えば、今まで給料を1万B貰っていても、不景気やその他の理由で半分の5000Bになっても、

 「運が悪いなぁ、まぁしょうがないか・・・・・」

 って、事で諦めて半分の生活をすることが出来るんですね。 これが日本でしたら大変ですよね。 今までもらっていた給料が半分になりましたら、どうしようもありませんよね。生活どころの話じゃありませんね。

 タイランドやタイ人の場合は、社会も人間もその対応が出来るんですね。 そう、マイ・ペン・ライですからね。

 確かに半分になるのは、大変には違いはないのですが、なってしまったことを嘆いて何もできないって言うのは日本人の性で、半分になったのは仕方ないし、考えてもお金が増えることがないから、半分のなんとかしようって考えるのがタイ人の性ですね。

 性と言うよりは、悩んでもしょうがないって考えて、・・・・・否、感じる事が出来るんですね。 この感覚って本当に素晴らしいモノがありますよね。

 例えば、家賃が払えないって事になったら、誰かとシェアするか、誰かの所に転がり込んでしまうかって事で、取り敢えずは何事もなかったように生活が進んでいきますよね。

 「今は運が悪いけど、その内運が向いてきて良い生活が出来るようになるから、マイ・ペン・ライだぜ!」

 こう言うかどうかは定かではありませんが、そう言っているように私には聞こえるのですが、如何なモンでしょうね。

 この違いは、日本は何でも単独での行動はしない癖に、生活の事だけは完全に単独ですね。 でも、タイ人の場合は、殆どのことは単独で行いますが、生活の事や仲間のことについては、しっかりとしたコミュニティーがありますからね。

 横のつながりがしっかりとしていますからね。 我々もこんなタイ人の考え方を見習わないといけませんよね。

                 

Photo今回の教訓です。

 日本人の場合は、タイ人をどちらかと言いますと見下している傾向にありますが、客観的に観察をしてみますと、タイランドの方が心があって幸せ感が多いように感じます。

 日本の場合は、 ”常に隣は何をする人ぞ!” って感覚が強いですが、タイ人の場合はもしもの時には互いに頼ったり頼りにしたりって事が普通に行われていいますから、安心感が強いですね。

 「えっ、AKIさん大変なの? そりゃ、しょうがないじゃないですか、そうそうなんだったら俺ん所に住むかい? 何もないけど、寝ることはできるよ。 良かったらいつでもおいで、その内良いこともあるからね。」

 飲んでいるときに大変だって話をしましたら、一緒に飲んでいたタイ人の殆どがこのように言ってくれます。 社交辞令(タイ人には社交辞令はありませんから)ではなくて、本気に言ってくれますからね。

 金持ちはどこでも問題はありませんが、庶民はタイランドが住みやすいですよね。

 やっぱり、リタイア後はタイランドに住み着かないといけません。 皆さんもタイランドの庶民とのお付き合いをお薦めします。 (但し、大変じゃないときには、常に頼りにされますけどね。)

                 

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